視覚障害者のリハビリテーション
2021年3月24日
障害といってもさまざま・・・
一口に障害と言っても、身体障害・視覚障害・聴覚障害・知的障害・内部障害・・・などとさまざまな障害が存在します。どこが障害されてもハンディが生じるでしょうし、障害によって困る内容も異なるかと思います。そこで、今回は「視覚障害」に焦点を当てて、お話したいと思います。
みなさんは、視覚障害者に対してどのようなイメージをもたれていますか?
白杖をついている、黒いサングラスをかけている、盲導犬と歩いている・・・などでしょうか。
視覚障害の中にも、原疾患(視覚障害の元となった病気)によってそれぞれの異なる障害・後遺症が出現します。全盲から弱視、視野狭窄(視界が狭まってしまう状態)などと幅広い障害種別があり、見え方や見える範囲にも相違があります。
人間の五感による知覚割合は、視覚:約80% 聴覚:11% 嗅覚:3% 触覚:1% 味覚:1%(文献によって異なるので、ここでは報告されている統計データの平均値を記載)といわれています。よって、健常者は、ほとんどの情報を視覚頼りに生活しています。
しかし、視覚障害者の場合は、残された機能だけで生活していかなければなりません。もっとも情報収集に長けた機能を失い、他の機能だけで生活していくことなど果たして可能なのでしょうか?
自分自身が視力を失ったとしたら何を思い、どのような生活を送るのかについて考えてみましたが、どうしても前向きな状況を思い描くことはできませんでした。
視覚障害者が考える視覚障害について
そこで、私がリハビリを担当している視覚障害者の方たちに「視覚障害を抱えること」についてどのように考えられているか質問してみました。
ある方は、「視覚を失ってからよりも、医師から視力を失う宣告を受けたときの恐怖心の方が強かった。なぜなら視覚を失う前は見えなくなる恐怖で押しつぶされそうになっていたが、いざ見えなくなってみるとその状態で生きていくしかないので、恐怖が覚悟に変わった。」と話していました。まさに見えない恐怖と闘っているようです。
他には、「見えなくなることで見え方が変わる。視覚的に捉えようとすると、自分の視点から映った状態でしか対象を見ることがない。しかし、視覚ナシの場合は、視点もないので、あらゆる角度から立体的に対象を捉えようとする。」「視覚障害者だからといって、みなが点字を読めたり、盲導犬を連れている訳ではない。見た目だけでは分かりづらい障害者がいることを知ってもらいたい。」「視覚障害を抱えることにより困ることも多いが、できることもある。何でもかんでも手伝われると、かえってストレスになるけど介助なしでは生活できないのも事実。何を必要とし、どこまでのことを介助すべきかを障害当事者に主体性を置いて考えてもらえるのが理想的な関わり方である。」といったご意見がありました。
【情報通信研究機構の統計データによると、国内の視覚障害者数は約31万2000人。厚生労働省によれば、点字使用者は視覚障害者の約1割との調査結果が出ている。また、現在日本では約900頭の盲導犬が実働(日本補助犬情報センターによる)している。】
盲ろう者(視覚・聴覚の重複障害者)であり社会福祉活動家として知られるヘレンケラーは、「感覚にいくつか障害があったとしても、多くの人々が考えるように道しるべもなく、案内人もいない荒野に追い出されたわけではない。」「時として、私の肉体そのものが、それぞれ目であって、毎日創造される世界を心のままに眺めているような気がすることがあります。」と語っていました。
私は、健常であれば当然のごとく有しているはずの視覚がないのはマイナスになるという減点方式の考えをしていました。しかし、ヘレンケラーの言葉や視覚障害者の考え方を聞いていると、人の身体には、他の感覚や機能が視覚を補って代償する順応性も秘められていることを知りました。
ある新聞記者が、幸せそうに微笑むヘレンケラーに、「重い障害があるのに、なぜそんなに幸せそうにしていられるのか?」と尋ねたことがあったそうです。
これに対して、「私は、神様の贈り物のうち2つを失っただけです。その2つを除いていろいろな贈り物を頂いています。そのうちの一番大きなものは心です。」と、答えました。
健常者が、暗中にて視覚を閉ざされたからといって、すべての情報が遮断されてしまう訳ではありません。むしろ、そのときは他の感覚が研ぎ澄まされたりします。
ピアニストの辻井伸行さんのお母様は、伸行さんが小眼球症により視覚障害をもつこととなったとき、「彼がもつ世界をもっと豊かにしていこう。」と決心したと聞きました。
ピアニストとしての彼の素晴らしい功績は極限まで研ぎ澄まされた感覚とお母様の深い愛情によるものと察することができます。
幸せは目で見えるものではなくて、心でみるものということが伝わってきます。
健常者である私が眼を閉ざしたからといって視覚なき世界を理解することは不可能ですが、
静かな場所でそっと目を閉じてみて、自分自身が視覚障害者になったときの想像を巡らせながら障害者へのリハビリに臨みたいと思います。
視覚障害を見つめ直す
このように視覚障害といっても一律ではなく、障害の種類やレベルも異なれば当人の障害に対する捉え方にも相違があります。
みなさんは、「近い将来に目が見えなくなる」と言われたら、どうような思いが浮かびますか?
家族や友人の顔、何気ない日常の景色・・・などを見ることができなくなることを考えたら、想像できないほどの不安感に襲われるかと思われます。
また、健常者であってもまったく油断できないのが視覚障害の恐さでもあります。
日本人も罹患率の高い糖尿病による合併症の網膜症でも視力を失う危険性が非常に高いです。不慮の事故で失明してしまう例も少なくありません。
そうした事実を踏まえ、自分自身が視力を失ったときのことを考えてみると、視覚障害者の社会的包摂の在り方を見つめてみるきっかけにならないでしょうか。
視覚障害者について考えてみると、まず最初に気付くのは「見える人と見えない人に優劣はなくても差異がある」という事実かと思います。しかしながら、社会的インフラは障害者ではなく、人口割合の多い方である目が見える人を中心としてつくられているのが現実です。
そのようなバリアフリー途上な社会の中、視覚障害者(抱えている障害が視覚障害のみの方)は視覚情報の代わりに聴覚や足底感覚を頼りに情報収集を行い、外部の状況を判断・処理しています。具体的には、白杖から伝わってくる感覚や点字ブロックの感触、音の反響や種類などを判断材料にしているとのことです(人によって異なります)。 歩行可能な身体能力レベルを有している視覚障害者は、身体の中枢部を固定するようにし、地面の感触を足でサーチするように確認しながら歩きます。よって、点字ブロック上に障害物があったり、慣れていない環境になると空間認識ができずに身動きがとれなくなってしまいます。また、必要な音が聴こえづらい状況・場所においては、聴覚情報が遮断されてしまうので動くために必要な情報を得ることができなくなってしまいます。
視覚障害者が抱えるリハビリ上の問題点
視覚障害者が、一人で自由に動き回るためには多くの危険が伴うのでどうしても生活スペースは狭小化され、活動量も極端に低下する傾向にあります。よって、足腰の筋肉も衰えやすいため、身体機能低下という二次的な障害を併発するリスクも非常に高くなります。そうした二次障害を予防することも視覚障害者の生活を守る上での重要な課題となっています。
リハビリ専門家の訓練やガイドヘルパーによる介助で機能維持・向上を図っている視覚障害者の方も多くいるかと思われますが、機能低下に歯止めをかけるのに十分な訓練ができていないという報告を耳にする機会も多いです。特に、視覚障害に加えて身体障害もある重複障害者は尚更その傾向が強まります。なぜなら、 多重あるいは重篤な障害がある場合は、リハビリより生活介護(食事や洗濯、排泄、買い物等)の優先度を高くせざるを得ないからです。よって、生活介護を優先することによりリハビリまで手が回らなくなり、十分な訓練を受けられないことがあります。そうなると、リハビリ専門家の目が届かず、環境設定やプランニング(現状の機能評価をして予後予測をしながら取り組むべきことを検討する)などもできなくなり、機能障害悪化に拍車がかかってしまいます。
このように視覚障害者の機能を守っていくことが不可欠でありながら、既存のサービス体制では不足や限界が生じているので、新しいサービス体制の確立や改革が必要かと考えられます。
Brotherhoodの使命
今回の記事では、私が関わった患者さまから聴取した範囲内での意見であり、母数の少ない情報ですので、これで視覚障害者を取り巻く全体像を捉えたものではありません。
しかし、 私の乏しい経験ながらも視覚障害者の方々と「見えない」という障害を通して通じ合うことで大いなる気づきを与えられることがあります。視覚のある者は見えている分、視覚に頼りすぎて他の機能を活かしきれていないかもしれません。また、見えることで必要以上の情報が錯綜し、不必要な情報に踊らされている気もします。
私は普遍的な身体論しか言及できませんが、障害者の方々との関わり合いにより普遍性を超越した広く深い潜在的な可能性を感じています。
今後もBrotherhoodの活動を通して、障害者の方々が求める理想的なリハビリや介助の在り方を追求していけたらと考えております。
参考文献・参照資料等:
①伊藤亜紗:「目の見えない人は世界をどう見ているか」、2015 年、光文社文書
②星加良司:「障害とは何か ~ディスアビリティの社会理論に向けて~」、2007年、生活書院
③ヘレンケラー(訳=小倉慶郎):「奇跡の人 ヘレンケラー自伝」、2004年、新潮社
④(公財)日本盲導犬協会ホームページ、盲導犬にかかわる調査・研究資料、https://www.moudouken.net/knowledge/ 2021/2/2閲覧
⑤日本点字委員会ホームページ、http://www.braille.jp/topics/yonndemiyo.html 2021/2/2閲覧
⑥社会福祉法人日本ライトハウスホームページ、http://www.lighthouse.or.jp/index.html 2021/2/2閲覧